オブレートの皆様、主のご復活祭おめでとうございます
 今年は4月の第1週目が聖週問で、8日の日曜日がイースターと、季節的にも素晴らしい時を迎えて、全ての人々の顔が輝いている感じがします。
 特に復活徹夜祭に受洗された世界中の兄弟姉妹と共に、私達の生活の中心である復活祭を新しい心で喜び祝い続けたいと思います。

 今から25年程前に、定年退職後再就職した数学の先生から「シスター達の毎日の楽しみは何ですか? 私は仕事が終わって家に帰り晩酌をする時が一番幸せですよ」と少年のような笑顔で言われたことを時々思い出します。
 長いこと教職にあっても、職員室での先生の姿は、倦まず弛まず授業の準備に勤しみ、机の上を黒板代わりに数宇を書き続けていました。
先生の生徒達を思う心が燃えていたからこそ「晩酌」のおいしさも格別だったのだと思います。

 その時の問いだけは、今も聞こえてきます。
「毎日ミサがあって、シスター方は飽きないですか?」
その時の私は「子供の頃は1年に2回くらいしか教会に行けなかったので、今が初心者のような者なので飽きないです」と答えたが、信者でない人には納得のいく返事ではなかったと思っています。

 今の時代は毎日のミサどころか、毎日曜日ミサがあるのは珍しい、月に1回ミサがあれば嬉しいというところも増えているとのことで、復活祭を祝った私達は初代教会の人々と同じく、過越秘儀を8日目毎に祝うその日が「主の日」「主日」と呼ばれていることを今まで以上に強く意識したいと思います。

 何事も慣れてくると惰性的になりがちですが、「日曜日が楽しみで・・」と目を輝かして嬉しそうに話す信者さん達や、ご聖体拝領後のお母さんに「おいしい?」と羨ましそうに顔をのぞき込む小さい子達を見る時、「これも・・福音宣教だ!」と感じることがあります。

 又、事情があって教会に行けない人、体調が悪くて出歩くことが出来ない人が苦しみに負けることなく「以前よりもイエス様を身近に感じてます。」と逞しく生きている姿に接すると、「日曜日」はどんな状況にある人にとっても、やはり「主日」と思えて教会共同体の広がりを感じます。
         
 典礼憲章の中に
『神のことばを聞き、感謝の祭儀に参加して、主イエスの受難と復活と栄光を記念し、「死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えてくださった」神に感謝をささげるのである。したがって、主日は信者の信仰心に明示し強調されなければならない根源の祝日であり、それが喜びの日、休息の日となるようにしなければならない。他の祭日は、真にきわめて重要なものでないかぎり、主日に優先させてはならない。それは、この日こそ全典礼暦年の基礎であり、中核だからである。』
とありますが、私達が生きているということは、「あなたは何を優先しているか?」をいつも問われているのだと思います。

 優先順位によって各人の生活表現は変わってきますが、「神の愛の証人」として教会から派遣されている私達ですから、お互いの召命のために祈りながらこれからも過越秘儀を8日目毎に祝う「主日」を共に意識して生きて行きましょう。

 オブレートの皆様の上に、復活された主の慈しみと導きを心よりお祈り申し上げております。恵みに満ちた復活節をお過ごし下さいませ。

                              院長 シスターテレジア 齋藤 弘子