2025年6月 第42号
発行 聖ベネディクト女子修道院
色とりどりの花が咲き、心和む季節を迎えた今日この頃、皆様は如何お過ごしでしょうか
東京、夕張、室蘭、小野幌に在った修道院を室蘭に統合し17年目に入り、メンバー数、生活状況などが変わって
行く中でふと、「変らないものは何か。」が、頭の中をよぎり、「そこで、わたしたちは主に仕えるための学校を建てなければなりません。」(戒律
序45)
この基に聖ベネディクトは共住生活修道院を始められ、それは世界中に広がったのを思い出しました。
学校は教科、先生、学友を通して学びます。
好きな教科、不得手なものもあります。
修道院でも入会から掃除、洗濯、料理の様に生活の基本と神学、キリスト論、ラテン語、聖書、戒律等などの学びもありましたが、やはりケーキ、クッキー作りは楽しく、またキリスト論のように心惹かれる課目と、ラテン語は赤点が多かったのも思い出します。
苦手なものはクラスメートで助け合い、何とか先輩のシスター先生から合格点をもらえたのも、心が温まる思い出です。
今から60年ほど前にもなりますが、第二バチカン公会議後、「聖書の分かち合い」が教会の中で盛んにおこなわれるようになり、わたしたちの修道院でも週一度、「聖書と典礼」の分かち合いが始まりました。
わたしにとって、これは苦手で、何をどう話そうかと思い悩み抜いた結果、他の姉妹の発言に便乗するような方法を取った時期もありました。
試験で言えばカンニングかな。
ある時、一人の神父様がミサの説教前に「今日のみ言葉を聖霊によって話すことが出来るようにどうぞ皆さん私のために祈ってください。」
その後、少し沈黙の祈りがあって説教が始まり、閉祭では「感謝の祭儀を終わります。行きましょう主の平和のうちに。」の部分を「主のみ言葉を生きるために。」とおっしゃいました。
それで、分かち合いは、知識や考え方であったり、批判、当てつけになりがちなものではなく、その中心にあるのは、聖霊によって一人ひとりが与えられた気づきや、心に響いて残り、浸み込んだみ言葉を分かち合うと理解出来ました。
また、変わらないものに「恵の分かち合い」もありました。み言葉を生きるのに、主から全ての人、一人ひとりが異なる恵みをいただき、お互いに助け、励まし、補い合って共に主に向かうようにと聖パウロも書簡の中で私たちに告げています。(1コリント12・4ー31参照)
赤点だらけでも隣人と共に「主に仕える為の学校」生活を無事に卒業できますように。
皆様と共に祈り、支え合いながら。
院長 シスターナオミ 田中 美智子
これもAI画像です