登別教会の信徒の交わり 聖書の分ち合いで

Sr.ヨハネ 久保 燿子

 私は十余年前からボーソレー神父様の修道院へのご要望で、信徒の方々との信仰の分ち合いに参加させていただいております。

 登別教会は「幌別」という海沿いの町にある信徒数約60人の小さな教会です。
50年前にメリノール宣教会の神父様によって建てられました。

 毎週木曜日の10時のミサには10人程度の方々があずかりますが、隣接する幼稚園から聞こえる明るい元気な歌声や笑い声は私たちの心に活気を与えてくれます。


 私が参加し始めた当時は、第2回NICE(全国福音宣教推進会議)の後で、教会の基本方針「生活と信仰の遊離」が示されて私たち信徒の信仰生活が問われ、 現状を見直し考えさせられた時期でした。
 幸いに札幌修道院で近隣の教会の皆様と共に田村神父様のご指導によって行った「霊的生活を深めるための分ち合い」が土台となり、分ち合いの難しさを感じながらも、 信仰について信徒の方々と日常の思いや考えを忌憚なく話し合える機会となりました。

 この十年余りの間にボーソレー神父様をはじめ親しかった方々が主のみもとに召されたり、病院やケア・ハウスに移られました。
 現在は、東室蘭と登別教会の主任司祭として韓国人の宋 榮峻神父様が着任され、日本語の不自由さを苦にされながらも聖書の分ち合いをしております。

 また月に一度、病院訪問を神父様と信徒の方々、シスター芦川と共に致します。

 そして時々、神父様が作ってくださる韓国料理を皆でいただきます。
ある時、その食事ではっと気付かされました。
聖書にはキリストが弟子たちと食事をする場面が、数多く記されていることです。
それはイエス様にとって非常に重要な時で大切なみ言葉を語るときです。

 「私の食物は、天の御父のみ旨を行うことである。」「まだ悟らないのか。信仰の薄い者たちよ。信じる者になりなさい。」など。
食事のあとに、弟子たちの目が開かれてイエスだと分かったと記されています。

 このようなキリストのお姿が、韓国料理をもてなす宋神父様の姿と重なって私には見えました。そうです。
食育≠ノよって私たちの目を開き親しい交わりに導いて下さろうとしていることを感じます。

 また神父様は信仰の真髄である「教会の祈り」を信徒の方々に強く勧めています。
消えかかっている信徒の祈りの実践を教会の中に再び燃え上がらせ「真の交わり」とは何であるかを私たちが体験できるように導いて下さっているように感じます。

 教会の祈りは今後の課題ですが、 太平洋に面した北海道の小さな教会と私たちの聖ベネディクト女子修道院からキリストの愛と平和の炎が全世界に広がっていくことを夢見ています。


カトリック登別教会

 最後に私の大好きなみ言葉を記します。
「さあ、来て朝の食事をしなさい。」(ヨハネ21・12)
夜明けの湖の岸辺で火がおこされ、魚を焼いて、思わぬ大漁に驚く弟子たちを待っていて下さる復活されたキリストのみ言葉です。