2021年6月 第38号 6月号 発行 聖ベネディクト女子修道院
コロナ感染拡大の中で皆様お変わりございませんか。
在宅での自粛生活が続く中、終息を祈りつつ主の御声に耳を傾ける日々が続きます。
一方で自然は揺らぐ事なく時を刻み、二度目の春を迎えました。
特に今年は春の訪れを告げる水仙が、太陽の光を浴びて透き通るまでに光輝く美しさに心を奪われ、私の心も洗われる思いが致しました。
他の花々も皆、生命一杯に限られた日々を開花する姿に心が熱くなり喜びに満たされました。
そして私自身年齢を重ねる毎に日々心に浮かぶ聖句があります。
「人はみな、草のごとく、その栄華は草の花に似ている。
草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉は、とこしえに残る。」 一ペトロ1・24‐25
この聖句はいつの頃からか、深く心に刻まれている言葉です。
暗唱したのか、させられたのかも定かではありません。
ただ幼い頃から母が、花の生命を大切にする姿を見て育ちました。
花瓶にさす時にでも、「それぞれの花が前後、脇に関係なく、各々の置かれた位置でいのちが光るように活けるのよ!」と「なるほどな!」と。私なりに納得したものです。
私は時折、外出したシスターから、手の平に納まるほどの小さな花束をもらうことがあります。
初めは執務室に飾りますが、そのうち自分の居室に持ち帰り、何本かの小さな空き瓶に入れ机の上や窓際に飾ります。
自然、「お早う!」「お休みなさい!」「咲いてくれてありがとう!」など声がけが続きます。
そして心なしか、花がとても可愛く嬉しそうにほほ笑んでいるかのように感じられ私も喜びと安らぎをもらいます。
不思議に花々は長く咲き、花によっては根付き、花壇に植えかえるほどに生長します。
日差しに強い花、弱い花など種々です。
時にはある花は色付いたままで、触れるとドライフラワーのようになっていながらも根を伸ばすなど、けなげな姿にも出会います。
私は手の平に納まるほどの小さな花の生命がとてもいとおしく、短い生命を精一杯生き枯れていく姿に心打たれます。
この自然や切り花同様、この大地に生きる人間も、等しく生を終えることを思います。
草木、花々が枯れてこそ命を繋いで行くように、主の復活、永遠の命を信じる者には、「死」を超えてこそ、その先には主のもとでの天国、永遠の命が待っています。
主への賛美と感謝のうちに、主の十字架、復活、主の昇天、聖霊降臨の足跡を辿りながら、生きる希望が湧いてきます。
もの言わぬ小さな花を気遣う心同様、共に暮らす修道家族一人一人の姉妹に「手当て」の心とやさしい言葉がけを大切に生きたいものです。