訃報

ペトロ川村 英成神父様 2013年11月6日帰天(享年64歳)

 三位一体ベネディクト修道院(長野県富士見)の川村神父様は、2日に台所で食事の仕度をされている途中、急に倒れ病院に搬送されましたが、その後、意識が戻らないまま主のみもとに召されました。
 神父様はこの秋に、司祭叙階25周年を迎えられたばかりでした。
この何年間かは心臓疾患のご病気で何度か入院され、心配していました。
最近は外出はままならないようでしたが、院内の雑務やミサの司式などをこなしておられるご様子でほっとしていたところでした。

 神父様の叙階記念カードには、「主よ、あなたは情け深い神 憐れみに富み、忍耐強く 慈しみとまことに満ちておられる。詩編86」と記されています。

 この文を書き始めたとたん、「大きな虹が出ているわよ!」という姉妹の声に、一目散に窓に駆け寄りました。
残念ながらデジカメには映りませんでしたが、心に焼きつきました。
虹と聞きすぐに、川村神父様のお顔が目に浮かびました。
「虹は私たちの願いをかなえてくださる神様の約束のしるし」という神父様のお言葉が頭をよぎったからです。
「天国からの安らぎのメッセージ」と、「喜びに満たされた温かな笑顔」が、同時に感じられました。
 神父様が生前、何かに書いておられた「永遠の命」についての文章を一部抜粋してご紹介します。


2013.11.12 東室蘭教会 ルルド

 キリスト教には永遠の命という信念と同時に、審判とか裁きという教義があります。
裁きと言えば物々しく聞こえますが、キリストの裁きは神の広大な慈愛、それ以外のものではありません。
裁きは人間を救おうとする神の愛そのものですが、お座なりではないでしょうから、厳格なのも事実です。
 信じる人に差別なく永遠の命が約束されているのですから、キリスト教は本来、楽観的なものです。
しかし一方で裁きの観点からすれば、極めて厳粛な教えです。
 死後間もない顔に安らぎの表情があるのは、永遠の命を約束するキリストへの信頼が死者にあったからです。
同時に厳かな気配が見えるのは、キリストの審判に謙虚に自分をゆだねる覚悟があったからだと言えないでしょうか。

 神父様のお顔も、きっと安らぎに満たされていたことでしょう。
今は主のみもとで、永遠の安らぎの中に憩われておられることと信じます。
今は病の身体から解放されて、この世に生きる私たちの平和の為に神様に取り成してくださることを確信しています。
私たちの些細な思いさえ、神父様にすぐにお届けできるようになったのですから。
どうぞお祈りください。

 


セミの脱皮から学ぶことは大きいですね!

***** 訃報 *****