クリスマス おめでとうございます
赤ちゃんは泣いて訴える
お腹がすいた
眠い
おむつが汚れた
具合が悪い
自分で自分のことが出来ないから
泣いて訴える
夜の夜中でも
赤ちゃんを見たらどんな人も
自然に心から笑みがこぼれる。
そして赤ちゃんの為なら
何時でも何でも喜んでしたくなる。
「私が愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい。」
このみ言葉は重すぎます。
障害となるのは感情、思い、自尊心、人の評価等などの自我、これを超えられないのです。
このように自分を超える力のなさに幾度も挫折感を味わったものです。
神様は何でもご存知のはず。誰も知らない私の心の中も、すべてをご存知でしょう。それなのにどうしてわざわざ訴えなければならないのでしょう。
すぐに答えていただけないのでしょうか。
クリスマスの夜、馬小屋(crib)の前に立ってじっと眺めていて知りました。
弱さや脆さは人を責めるためにあるのではない。
それは自力ではどうにもならないので、赤ちゃんのように訴えて、主により頼み、主の慈しみや憐れみと出会って己を知り、主と人々とのつながりを深めながら日々を送るようにと。
そして、失敗の中にはたくさんのメッセージが主からあるとも。
「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちに準備された。」
(コリントの信徒への手紙1 2章9節)
振り返ってみますと私達は家庭や学校、職場、社会などのあらゆる場とそこで出会う多くの人たちの助けを通してたくさんの恵みを頂いて育ち、今があるとも気づきました。
人とひとの触れ合いには難しさもあるが、またそれ以上に感謝と喜びもあります。
心の耳、目を開き、今置かれた場、出会う人の中で「神を探し求める。」を共に歩めますように。
主にすべてをゆだねられますように。
院長 シスターナオミ 田中 美智子