オブレートの集い講話
オブレートについて
Sr.アリサ緒方美知子
オブレートとは、各々、与えられた環境の中で、聖ベネディクトの戒律の精神に生き、受け入れている修道会の会員と互いに祈りを通して助け合う信徒のことを言います。
私共の日本のオブレートはアメリカ・ミネソタ州聖ヨゼフ市にある母院のオブレートを参考にして作られたものです。
アメリカのオブレートは1963年に当時の大院長シスターヘンリータによって正式に作られました。
しかしそれまでに同じ建物の中にあったベネディクト大学の生徒や卒業生によって修道院には入らずにベネディクト会の霊性に生きようとしたグループは存在しておりました。
日本においては1979年(昭和54年)の準総会で承認され創られたもので今年で25回目のオブレートの集いをする事が出来ました。
オブレート会員は、アメリカでは志願期などを経て入会の承認が得られ、度々祈りの集いや戒律の勉強会などがあり、何年かごとに、
会員としての自覚を促がす刷新式なども行われているようですが、日本の会は、より簡素に作られています。
オブレートの方々は私共聖ベネディクト女子修道院のために毎日お祈りをして下さり、私共も毎週土曜日の共同祈願の中で、特別にオブレートの方々のために祈り、
要望があるたびに共同体でお祈りをさせていただいております。
オブレートの存在は、日本の聖ベネディクト女子修道院にとって大きな霊的な支えとなっております。
聖ベネディクトは典礼、聖務日課を毎日決められた時間に共同体で唱えることを祈りの中心に置きました。
それと共に個人的な祈りとして聖なる読書(レクチオ・ディヴィナ)をすすめています。
聖なる読書は神のみことばを読み祈ることで次のような流れに従って行うことがベネディクト会として長い間実践されてきました。
1 先ず、自分で選んだ聖書の箇所を読む。この部分を注意深く、もし助けになるなら、声を出して自分に向けて読みます。
その場面について「誰が、いつ、どこで、どのように」と問いながら読みます。
2 聖書の朗読は主に批判思考能力を使いますが、次の段階の黙想には感情、知覚、想像力を使います。
黙想で私たちは、まるで現場に居合わせたかのようにそこに身を置きます。
こうしていると、福音のうちから、私たちの生活に非常に深く関連したことが浮かび上がってくるかもしれません。
一人一人に深い関わりのあった経験が真理の光によって照らし出されるときです。
3 ここまでの段階も祈りですが、3段階では今まで自分の考えてきたこと、感じたことを神に向けて、特定の意向にまとめます。
ここからは読書と黙想から現れてきた祈り、祈願が出てきます。それを祈りのうちに神様に捧げます。
4 次は観想の段階です。
これは手の届かないほどに聖性の高い祈り、高貴な聖人たちの祈りと思いがちですがそうではありません。
観想は単純に沈黙と平和のうちに神のみ前にあることなのです。
前に色々考えて祈ったことが何であれ、もうそれについて考えたり、結論を求めたり、あるいは何かをおこそうとはしません。
この時点で自分を支配することを止めて、ありのままの自分を神の前にさらけ出し、何も期待せず、何も求めず、平安のうちに神のみ前で裸のままに、神と共にあることです。
これらのことは、とても複雑に見えますが少なくとも実践してみると、とても自然で簡単な祈り方なのです。
それに慣れてくると、思考から想像へ、次に祈り、そして最後に静寂のうちにいるようにと系統的にすすめます。
聖書を祈るのは、聖書を心から知ることであって、私たちの生活において変えられてゆく力になります。
以上は、『1500年の知恵』ブライアン・テーラー著(聖ベネディクト女子修道院訳)を参考にしました。
***** オブレートの集い講話 *****