東アジアオセアニア上長者会議(BEAO)

 当初、この会議の開催地は台湾でしたが、6ヶ月前になって中国の上海で開催することになり、近づくにつれ私は不安を抱えることになりました。

 その訳は、日本からの商社マンが中国で撮影騒動を起こしたり、尖閣漁船衝突事件など日中間が険悪になり、今回は見合わせた方が良いという声が、 日本から参加する他の会のシスターから出たことや、中国国内で実際の宿泊場所とは異なる場所が滞在先となったこと、さらに入国に当って修道者ということは表さないで下さい、 と事務局からの指示があったからです。

 しかし、「中国の教会の実態は? 修道会の存在は?」など、隣国の不透明な実態を確かめて見たいという思いと、このような会議でもなければ中国に行く機会などなく、 せめて本場の中華料理を堪能する事を楽しむことで、これらの悩みを払拭することにしたいと思いました。

 2010年11月15日〜19日までの日程で開かれたこの会議には、日本からエドワード師(三位一体ベネディクト修道院)Sr.岡島(十字架のイエス・ベネディクト修道会) Sr.山脇(善きサマリア人修道会)と私の4名が参加しました。


余山天主教堂にて

 他の国からは、韓国、フィリピン、オーストラリア、中国、招待客としてイタリア、アメリカなどの参加者合わせて20名でした。

【中国の教会】
 若い上海教区の司祭から中国の教会の歴史について聞きました。
儒教の国、中国は、早くも7世紀頃からシルクロードによってキリスト教を知りました。
その後、14世紀にモンゴル帝国ではフランシスコ会士が派遣されていましたが、1601年、明の時代にイタリア人のイエズス会のマテオ・リッチが初の宣教師としてキリスト教を布教し、 彼は民衆の中へではなく、宮廷に奉仕しつつ宣教し、師の弟子徐光啓(じょこうけい)と共に上海教区を創立しました。
今、上海教区で2人の列福準備を進めておりました。

 中国においても迫害の時代がありました。
1955年9月8日司教逮捕。
1960年にはカトリック教会の外国人宣教師(女)の追放。
1966〜76年にかけて文化大革命が起こり外国の宗教を追い出して、教会活動は出来なくなり、教会は破壊され、そして内乱ばかりでなく、日本軍による被害も被っていました。

 上海教区立の神学校と女子修道会の修練所がある余山(よざん)の頂上にある巡礼教会に案内していただいた時のことです。
説明によると、『1937年8月13日この教会堂は日本軍によって破壊され、その後再建されたものです』と。

 確かに、日中戦争は北京から上海へも波及、日本軍は建物の破壊損害ばかりでなく人民にも残虐な行為を与えたことが記録されています。

 1980年代初頭になって、中国政府が教会への規制を緩和し始めました。
教会は積極的に国外で言語や神学を学ぶ機会を作ったそうです。

 私たち4名を含む参加者を上海空港に出迎え、宿泊場所など最後までお世話をしてくださった若い短髪の似合うシスターや、上海教区の数人の出会った司祭もとても達者な英語を話しておられました。
シスター方は、仕事の時はいつも私服で活動し、一方司祭はローマンカラーをはずしませんでした。

 昨年の統計では、中国に138の司教区と3500人の司祭がいます。
30代〜40代の司祭がほとんど。
30代の司教が実際に叙階されています。
そして700人の神学生と女子修道会の数は106、修道女6300人です。
上海教区だけで神学生は106名と司祭81名。


 ちなみに日本の教会が把握している中国の信徒数は、公認教会2000万人、地下教会6000万人となっています。

 中国のカトリック教会は、中国政府に協力し忠実である政府公認の中国カトリック司教団(天主教主教団)と、中国カトリック愛国会(天主教愛国会)があり、 この他に教皇に忠誠を誓っている政府の非公認教会、すなわち地下教会があって、この二つの教会は分裂していると言われています。

 しかし講話後の質疑応答では、この教会分裂についての質問に対し、解答者は、中国の教会は一つであり分裂は無いと、力を込めて明言しました。
その上彼らは、いつも一人の司教と、そしてローマのパパ様につながっている。
中国政府に登録されているのは天主教一つのみで、いつも一つの教会ですと力説しておりました。

 中国(上海教区)で修道会が教区(司教)によって設立されるのは、政府に認められるためであるようです。
司祭・修道者が政府の統制下で働くことについて、バチカンでは、教会に対しての政治的な介入は、正義と平和に反する事だと解釈していますが、関係改善は難しく、 この点は中国信徒に伝えられていないとのことでした。
外国人が中国の中で宣教することは禁じられ、教会の責任者となることも認められていません。
外国人宗教者の入国を制限しているのは、このような事情からと考えられます。

 私の感想ですが、中国の一般市民は、国内外で何が起こっているかを知るのは難しい状況で、情報が制限されているのは確かです。
なぜならこの11月、広州でスポーツの広州アジア大会が開かれていましたが、私が宿泊した部屋のテレビを入れても、競技内容もニュースらしきものも放映されていませんでしたし、 チャンネル数も少なく、いつも中国の宮廷物語や軍隊ドラマらしきものばかりでした。

 歴史を振り返ると、閉塞された社会と禁教の時代は、日本にもありましたし、戦争という闇の時代、特に日中戦争で加害者であった日本の行為を私たちは忘れてはなりません。
30年前「戦争は罪です!」と叫ばれた教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉を心に銘記したいものです。

 中国の教会と日本の教会が政治を超えた教会として、同じ神様を信じ、同じ聖母マリアを敬愛する信仰者として、お互いの信徒や修道会との交流や対話が平和のうちに出来る日が一日も早く来ることを、 神様に祈りの中で委ねたいと思います。

上田 若子