2019年12月 第40号 発行 聖ベネディクト女子修道院
去る9月30日に修道生活63年、享年89歳で神様のもとに旅立った私たちの姉妹シスターアリサ緒方美知子のために、どうぞお祈りください。
シスターアリサとの出会いは私が15歳の時で、シスターは私の担任でした。
入学して間もない朝、とても早い時間に学校に着くと朱赤のツーピースを着た、ポニーテールのシスターにお会いしたのです。
若く華やかで美しくて、とても驚きでした。
「この方、シスターなの?」と思ったことを覚えています。
卒業する時にはシスターは校長先生でした。
私は短大を出て札幌で働いていたのですが、 26歳の時に膠原病になり半年ほど入院することになって、シスターに長い手紙を書いたことがお付き合いをするきっかけとなりました。
室蘭に戻ってからは受洗の時、シスターが代母になって下さいました。
少しして私の結婚が決まった時にとても喜んで下さり、結婚式には黒いベールを付けて来て下さいました。
その後、私が修道院へ伺ったり、年に2回程二人で食事をして赤ワインを戴きながら、沢山の話をしました。
昔、初めて夕張の修道院へ行った時に道に迷って交番に行き、修道院に入ることを止められたことや、京都のお医者様と結婚のお話があったけれども、修道院に入ろうと思っていると話すと その方は「神様が相手じゃかなわないな」と言った事、仕事でイタリアに行き修道院に泊めて貰った際に、皆さんと一緒のお昼の食事の時にワインを飲むと、あちらの方たちはとても強くてシスターだけが酔ってしまいからかわれた事。
その後、地中海に行き御自分の親戚に会われ、もう二度と会えないだろうと思い素晴らしい時間を過ごして来た事や、魚がとても美味しかった事などを嬉しそうに話して下さいました。
シスターは修道者としてだけではなく、女性としてもとても素敵な方でした。
ラテン語で聖書を読むための勉強もされ、よく自分で作った洋服を着ていました。
入院してからのシスターは真っ白な髪が美しく凛として立派でした。
私にとってシスターは恩師であり親友であり、母でありそして血の繋がらない親戚のおばさんのような存在でした。
今でも心から愛する方で尊敬しております。私はこれからもシスターのために祈り続けます。
当院では昨年シスターレナータ 森 治子に引き続き、シスターアリサ 緒方美知子が9月30日に帰天いたしました。
2年5カ月の闘病生活を経て、享年89歳、63年の修道生活を全うしました。
シスターがあとにも先にもご自分の死について一度だけ話されたことがあります。
「シスター私ね、この頃とても眠りが深くなったように感じるの。
ぐっすり眠られて朝目が覚めた時、ああ、天国ってこんな感じなのかなぁ~と思うの…。
シスターセシリア、私が朝、目が覚めないで『ああ死んでいた』ということになっても、驚いたり悲しんだりしないでね。
私は眠ったまま、天国にいるのだから…」。
この一ヶ月、「死者からの人生最後の贈り物」という言葉の意味を思い巡らしている私です。
シスターの亡きあと、何人かの方々からシスターの思い出をお聞きして、私どもの知らないシスターの一面を垣間見る思いが致しました。
私にとってそれは、まさにシスターとの新たな出会い「巡り会い」と思えました。
この「巡り会い」という言葉は、学生時代、哲学の先生からお聞きしたものです。
それは、出会いのチャンスは、見ず知らずの人々や出来事、ものだけではなく、毎日ともに暮らしている家族、教会共同体、そして修道院のシスター方の中にも隠されている。
つまり巡り会いの機会が隠されている。
しかし私たちはそのことに気付かないことが多いという内容でした。
簡単に申しますと、「新たな出会い」ということでしょうか。
毎日、一緒に暮らしておりますと慣れあいからでしょうか、相手を全て分かっているような錯覚に陥りがちです。
その意味ではシスターとの「巡り会い」は、天国での再会まで続くと期待しています。
シスターは今、先に逝ったシスター方と再会し、神様の御もとで憩い、私たちのために祈り執り成してくださいます。
私たちも、天国の、またこの世で既に出会っている家族きょうだいとの巡り会いに気付き、相手を理解し寄り添いつつ生きたいものです。
そして、いつの日か、父なる神様の家に帰る日まで、「ご自分の独り子を私たちにお贈り下さった神様の深い愛」に気付き、感謝と賛美を捧げる日々を積み重ねていきたいものです。
このような気付きを与えられたことを神様に、シスターアリサに感謝いたします。
シスター、亡くなる最期の微笑みをありがとう!どんなに慰められたことでしょう。
朝まで一緒にいられて幸せでした。
時が経つにつれて今も心に沁みてくる時間をありがとう。
皆様、どうぞシスターの主のみもとでの安息をお祈りください。