2020年12月 第41号 発行 聖ベネディクト女子修道院
戦争体験を語り継ぐ人が少なくなったと言われる昨今。
室蘭も艦砲射撃を受けて犠牲者が500人以上も出たと聞いています。
艦砲射撃で防空壕が壊されたが、命拾いしたという室蘭出身のシスターの話。
東京大空襲で布団を被って代々木公園に逃げた90代のシスターの話。
今でも足の速いシスターは疎開先の山梨で、空襲を受けた缶詰工場から降って来た缶詰を拾って逃げたという逞しい話。
戦後生まれの私は平和促進のためにも、もっと身近な人の戦争体験に耳を傾けなければと思っていた時に、入会前からアメリカのメリノール宣教会と関りの深い先輩のシスターが、故パトリック・ジェームス・バーン神父様のエピソード(井上建紀氏の投稿文)を見せてくれましたので記します。
彼はアメリカのメリノール宣教会から派遣され戦時中は軍部によって京都の高野教会に幽閉されていました。
日本の敗戦と同時にそこを飛び出して上京、愛宕山にあったNHKの短波放送のスタジオでマイクの前に立ち、押し寄せるアメリカ将兵に向かって懸命の呼びかけをします。
「これまで自分は日本国民に良くしてもらったこと、戦勝国となった我がアメリカの兵士の皆さんのこれからは『お行儀試験』、決して横暴にふるまって世界に汚名を残してはならない」と訴え、その放送は数日続いたそうです。
神父の気持ちは日本の婦女子の恐怖心を思いやってのことでした。
機上で突然鳴り始めた流ちょうな母国語の演説は、マッカーサーをはじめ将官達に深い感銘を与えたと従軍記者は述べています。
現実に不祥事が発生するとそのつどマッカーサーに抗議と対処要求の手紙を送りつけ、同時に海外特派員にその不祥事を世界に発信するように依頼してマッカーサーへの圧力をかけるように計り、それは四十数回に及びました。
その後バーン神父は朝鮮動乱の地へ派遣され、北朝鮮の捕虜となって飢えと寒さによって、熱望していた殉教を成就しました。
日本が敗戦から立ち直るため沢山の方々の信仰と身を粉にした勇気に助けられていたことを知りました。
戦争が終って、叙階後の宣教地に日本を希望して教会司牧に生涯を捧げたメリノールの神父様方(多くは帰天されました)にあらためて心から感謝致します。
(文責 Sr.テレジア齋藤)
~これからの教会共同体~
松浦 悟郎司教著
何という素敵なタイトル。
思わず冊子を手に取り読みましたが、この文章は「カトリック新聞」に掲載されていたピース9の発信でした。
世界の平和のために祈り生きることはどこにいても出来ます。
私達の修道院もピース9のメンバーです。