会員が登別教会の「おとずれ」に投稿された文章を再度加筆して「オブレートだより」に寄稿して下さいました。

友人たちとの再会ジョセフィーナ 上田博子

 海外旅行はほとんどが仕事を兼ねてのことが多く、個人的にプランを立てることがなかった主人が、6年前に、「元気なうちにもう一度友人たちに会いたい」と言い出しました。
20年くらい会っていない人たちとの再会は楽しみではあるけれど、気が重いと悩みながらも、年齢的にいつが最後の旅行になるか分からないので、私も同意しました。
そして、翌年主人は大病をし、悲しいことにそれは現実となりました。

 旅行が決まってから、メールで友人たちへの連絡、お土産の手配など、案の上慌しい日々を過ごしていました。
本当に飛行機に乗るまで正直、半分後悔していました。
その頃何度も頭によぎったのが、高校時代の校長先生Sr.ベネディスに伺ったベネディクト会の発祥の地はドイツ?と。
空港はミュンヘン、フランクフルトを使うのでその近辺の町でなければ予定はほとんど埋まってきていました。
今回はゆっくりした旅行をと言いながら、これ以上予定は入れられない状況になっていました。

フランクフルトに着くと、長年主人の通訳をしてくれていて、家族ぐるみでお付き合いできるようになった日本人の君子さんが、ご主人と出迎えに来ていました。 この度の旅行目的については洗礼を受けたばかりなので、教会に関することなら何でも喜んで・・・と事前に伝えていました。

 彼女からの返信メールで、近所に修道院があると。
それが「ヒルデガルト・フォン・ビンゲン」、中世ドイツのベネディクト会系の修道院、私が一番訪ねたかったベネディクト会女子修道院発祥の地でした。
 ビンゲンは君子さんを訪ねて、数回来ていましたが、洗礼を受けたことで景色が変わりました。
 ライン川を渡って坂を上がって行くと建物が見えて来て、入口には観光客のためのお店がありました。
レジのシスターたちの修道服!それは見覚えのあるものでした。
室蘭カトリック女子高校に入学したその時代のものでした。
当時、これは奇跡だと思いましたが、今は神様のお導きとしか考えられません。
 旅行中、時差で曜日感覚も無くなっていた唯一フリーの日、11月15日マインツは日曜日の朝でした。
気ままな散策をと思っていたら、鐘の音が聞こえてくるではありませんか?それも柔らかくて、引き付けられるような魅力的な音色でした。
誘われるがままに、その方向に歩いていくと、立派な教会がありました。
カトリックなのか、プロテスタントなのかと思いながら入っていくと、ミサが始まるところでした。
登別の小さな教会に慣れ親しんでいる私にとって、入祭は煌びやかな大行列でした。
衛兵のような2人の先導でメインは3人の司教様、神父様に侍者など10人以上の行列。
司教様は皆に手を振り、周りの方たちも歓声を上げ、笑みを返し合う和やかなものでした。
壇上にはパイプオルガンに管楽器、素晴らしい音楽が流れる中、ドイツ語が分からない私はたった一人・・・不安は続きます。
後半になると聖体拝領の数列が出来て、私も並んでいました。
 すべてが新鮮で今振り返っても感動的なひとときとなりました。
後でガイドブックを見るとマインツの大聖堂。
この日は元々、君子さんのお薦めのホテルがシーズンオフでクローズだったため変更になり、それがマインツでした!

 その後、私達はミュンヘンに移動しました。
主人が仕事で出会った長年の友人ディートリッヒさんご夫妻が出迎えてくれました。
今も忘れもしない3・11東日本大震災の時、彼から突然Faxが届き、「日本は危険、家族も一緒にすぐドイツに来なさい!」と。
近年ではクリスマスカードくらいのお付き合いの彼から・・・不可能と思いながらも、その早い決断と行動力に彼の本物の友情を見せられた感じでした。
私が半年前に洗礼を受けたことを伝えると彼らもカトリック信者であることを初めて知らされました。
 当時ドイツは難民を受け入れることになり、話題に成っていました。
それは綺麗ごとではなく、同時に彼らは多くの難題を抱える羽目に陥っていましたが、それを訊ねると敗戦国だったドイツが、戦後どれほど悲惨だったか、その事に触れ、人として当然の事と言い切りました。
彼は英語を話しますが、ドイツ語交じりの英語で、語学学校に通ったわけでもなく、オーストラリアに渡って、働きながら覚えたとの事でした。
戦後生まれの私には、想像を絶するような苦労人でした。
 空港で別れる時、涙を堪え切れない私の耳元に「私達はまた天国で会えるよ」と囁いてくれました。
お互いに暗黙の了解、これが最後と思った一瞬でもありましたが、なぜか私の心は温まりました。
神様、ありがとう・・・

 (友人たちとの再会を喜んだ主人は、今年の4月8日に静かに天に旅立ちました。) 
 今年もコロナ禍のため「オブレートの集い」が中止になりましたが、紙面を通して、コロナ禍前の「友人たちとの再会」を投稿致しました。


マインツ大聖堂
(Harald LandsrathによるPixabayからの画像)