「あめ あめ ふれふれ かあさんが じゃのめでおむかい うれしいな
        ぴっち ぴっち ちゃっぷ ちゃっぷ らんらんらん」

シスターマルタ 上田 若子

 

 今年7月、3年毎に開催される連合会総会に出席するため院長と2人でアメリカに出掛ける機会をもらいました。
総会はノースダコタ州ビスマーク市にあるお告げの修道院で開かれ、いつものように私たちは、会議の前後、元母院であるミネソタの修道院に一週間程滞在しました。
そこで、この冒頭の童謡「あめふり」を客室係りのシスターリタ82歳が歌って歓待してくれたのです。
驚きました。
えっ!シスターは、日本に派遣されたこともなく誰が教え、どこで覚えたの?と自問。
その謎はこうでした。

 

 日本統治時代の台湾の歴史を知ることになるのですが、1894年の日清戦争で日本が勝ち、下関条約で台湾を割譲させたのです。
これに伴い、日本政府は、台湾には様々な民族が暮らしていて共通の言語がないことから日本語で意思疎通を図ることを台湾総督府による政策の一つとしました。
この当時小学生のシスターテランは、強制的に学校で日本のコトバと文化を学ばされ「あめふり」を知ったことが始まりだったのです。
その後シスターテランは台湾の修道院に入会後、ミネソタの修道院に移籍しました。
そして同期のアメリカのシスター方に教え、その中の一人がシスターリタでした。
時を経てもあの音程と歌詞、リズムも正しく「あめふり」の2番3番と軽やかに歌うのです。 
戦争というのは命を奪い、文化もコトバも取り上げ、憎しみと悲惨な出来事の陰に、この「あめふり」のように台湾・米国・日本の壁を越えて温かい交流が生まれていたことに感激したのです。
シスターテランは今でも日本語を話すことが出来、英会話に苦慮する私の助け手となっていますが、ミネソタと日本を行き来したシスターたちが年々少なくなっているのは寂しいことです。

友人レネーさんのファミリーと一緒

 さて、ベネディクト連合会総会の話ですが、10の自治権を持つ修道院が集まり、アメリカ本土から6つ、台湾・バハマ・プエルトリコ・日本と4つの島の修道院から総勢40人が集まりました。
修道院の会員数は現在200人をかかえる修道院もあれば4つの島の修道院は日本と同じ10人前後の小さな共同体です。
 内容の一部を分ち合いたいと思います。
将来の修道院のあり方がテーマで、ベネディクト会のカリスマを大切にしながらどのように歩み、次世代に何を残すのか?
 総会に望む前、この質問については共同体で討議しました。
若い召命が少なく、しかも帰天するシスターが多いので暗くなりがちですが、講話の中で〝未来を歓迎する〟という考え方に私は励まされました。

 

 将来を受け入れるためには、過去の事を手離す勇気が必要、そして居心地の良さに安住せず抜け出し、挑戦する勇気、物事に対しては、視点を変えることによって新たな方法が選択可能になるという内容でした。
 将来を思いわずらうのではなくきょう一日を神様の栄光のためにささげる毎日を送りたいものです。