いのり

いのり

い の り
                            Van Breemen

祈りは、心をひらき、手をひらいて、
神の現存のうちにあることです。
私には、手離したくないものがたくさんあって、
まるで握りしめた手のようです。
たとえば、私の財産、私の仕事、私の地位、私の友達、私の考え、私の…
握りしめた手は、ひらかねばなりません。 といっても、
なにもかもそのままです。なにもなくなりはしないのです。
でも、わたしの手はひらかれているのです。
そして、これこそがいのりなのです。

喜んで手をひらいたままでいるなら、そのうち主はこられるでしょう。
わたしをごらんになると、その手にあるものをみて、
きっと驚かれることでしょう。・・・・・・なんて、たくさん!

それから、わたしをみつめて、おたずねになるのです。
「これを、ほんのすこし、とってもいいかね?」
そこで、わたしはこたえます。
「もちろん、どうぞおとりください。
そのつもりで、手をひらいて、ここにいるのですから。」

それから、おそらくあるときは、わたしをみつめて、
おたずねになるでしょう。
「その手に、なにか置いてもいいかね?」
そこで、わたしはこたえます。
「もちろん、どうぞ。」  これが祈りの心です。

主は、なにかをおとりになります。そしてまた、なにかをくださいます。
ほかのだれも、こんなことはできませんが、
“かれ”にはできるのです。“かれ”は主ですから。
わたしは ただ 心と手をひらいておけば いいのです。
そして、主がこられるまで
そこに ただ じっと とどまっていればいいのです。

いのり

***** いのり *****