第35号 2018年6月 発行 聖ベネディクト女子修道院
今年の黙想会はフランシスコ教皇の回勅ラウダート・シをテキストに、これを訳された瀬本正之神父様をお迎えして、4月29日から1週間行われました。
皆様もカトリック新聞紙上の要約とか、246の項目に渡る本をお読みになっていることと思います。
今の日本で6人に一人のこどもが食事を十分に摂っておらず、世界では5秒に一人の子供が餓死していることが度々報道され心を痛めている私たちです。
神父様の講話は「私たちはこれからの子供たちに何を残していくことが出来るか?」の言葉で始まりました。
人間は関係の中にある存在であり神との関係、自然との関係、人間同士の関係と自己の内的関係が土台となっています。
この各々の関わりの調和が乱れた結果が、私たちの直面している問題を生み出しています。
これを修復し神様がこの宇宙と人間を創造された時に「良し」と言われた元の姿に戻し保っていくことが私たちの責任であり、今求められていることです。
神との関係を糺すこと、それは創造主である神を認め賛美することです。
教皇様にこの回勅のインスピレーションを与えた、アシジの聖フランシスコの『太陽の賛歌』はその素晴らしい見本ですし、私たちは全能の神を心に刻む霊性を大切にするように勧められています。
福音書には「神を愛せよ、隣人を愛せよ」という言葉がよく出てきますが、「自然を愛せ」という言葉は抜けているのでしょうか。
実は神の創られた自然を神のお望みになるように愛すること。
つまり私たちは被造物の本性と秩序を大切にし、それらを用いて愛を表す義務があるのだと神父様は言われました。
人間は自然を含めて全てのものを支配し従わせるのではなく、私たちは主人の意向に従って主人の持ち物を管理する〝僕・執事〟に過ぎないのです。
このことを忘れたことが人間同士の関係の破綻、そして自分の内的平和の崩れをも含めて、環境破壊や様々な問題を引き起こしてきました。
富は全ての人間のためにあるにもかかわらず、先進国と開発途上国との差はなんと大きいことでしょうか。
「今の私達の豊かな生活は他の国の人々の犠牲の上に成り立っている」と言われて、私の思ったことは、今、私の住んでいる室蘭一帯は元々はアイヌ民族の土地でした。
人々は土地を追われるまで平和にここで暮らしていたのです。
彼らは自然やその中の動植物に敬意を払って大切に扱い、慎ましく生活し、その関わりは回勅にある(総合的な)エコロジーといえるものだったと思います。
彼らは決して自然環境を痛めることはしませんでした。
神父様は「命と環境」とをセットで考えることを強調されました。
例えば素晴らしい環境にある山の上にたてられた家が汚物を下に流しているのでは環境保護に反します。
教皇様は環境を守るために日常私たちにできることの例を挙げています。
節電、節水、ごみの分別、プラスチックを使わない、普通より温度を下げて厚着をすることなども。
多分皆様も実践なさっていることでしょう。
環境破壊、温暖化、貧しい人々の叫び、消費社会、原発、その他の問題に対して、共同体として、個人としてできることを模索し実践していきたい、
健やかな生活環境と未来を、私たちの次の世代に残したいという思いが益々強められた黙想会でした。
すべてを治められる神様を賛美し、日々祈りつつ、皆様とご一緒にやって行けたらどんなに嬉しいことでしょうか。
「年の黙想」を瀬本神父様と感謝のミサで締めくくりました。