第36号 2019年6月 発行 聖ベネディクト女子修道院
50年前の2月10日。シスタールチアと私は、室蘭・高砂支部修道院で初誓願。私は4月から東京本部修道院へ。
東京修道院には、アメリカのシスターもいて、志願者も増え活気に溢れていました。
シスターレナータの建物に対する発想もユニークでした。
大学生向けの寮には、私も寝泊りしたことがありますが、ブロック塀側は車道で、夜になっても人の通る音や話し声が聞こえ、時には、喧嘩している気配に驚き、寮生達と、カーテンの隙間を直したことがあります。
それでも、夜は熟睡出来たのですから、若かったです。
東京にも慣れた頃、「狸穴坂(まみあなざか)」付近で、高齢の男性に声を掛けられドキッとしました。
自費出版の「老の一徹」を読んで欲しいということでした。
当時は、学生運動に参加する人もいれば、マイホーム主義的な学生も多かった時代で、老紳士は、日本のこれからを案じていたのでしょうか…。今では、私も案じています。
1973年に室蘭に戻り、終生誓願を宣立。
あの頃の教会は、第二バチカン公会議後の風に吹かれ、黙想会や研修会も多く、シスターアリサの誘いで、プロテスタントの方々と聖書を読む会にも恵まれました。
「シスターの聖書は随分綺麗ですね。(あまり読み込んでいませんね)」と言われ恥じ入りました。
私の出身教会は伊達教会です。両親と妹が、私の入会後に伊達教会に転入したというだけの理由でしたが、信者の皆さんは歓迎して下さり、会う度に声を掛けて下さいました。今日までのお祈りに感謝しています。
母校の室蘭カトリック女子高校に勤めた頃は、授業の準備に追われる私でした。
生徒指導部に属していたので、一部の生徒から「みんなもしている」「みんなが言っている」と言われ、当初は気になりましたが、関って行くうちに、この「みんな」は文字通りの意味ではないということが分かりました。
「私の言い分も良く聴いて」というサインと知り、生徒からも色々教えられました。
学年末の教職員の研修会で、洞爺湖に行った時のこと。一泊した翌朝、先生方は急に「♪Y・M・C・A♪」と大きな声で歌いながら、カメラに向かってポーズをとり始めました。
「斉藤先生はCよ!」と背中を押され「アー!あの歌!」と合わせるも擬古地ない私でした。
平成の20年間、札幌修道院での日々も学びの時でした。
小野幌教会にも近く、どこへ行くにも便利でした。
信者さんとの関りが希薄だった私も、シスタールチアのお陰で沢山の人に出会えました。
特に「みことば」に聴き、共に祈り、信仰を分かち合えたことは嬉しいことでした。
夏のある日、シスターヨハネに頼まれて、自転車の荷台に大きな西瓜を載せ出掛けようとした時のこと。自転車が倒れてしまいました。
西瓜ですから、外観は大丈夫でも中はグチャグチャかしらと、とても心配でした。
幸い、何事もなく配達出来たのですが、シスターウルスリンからは「あのね。落ち着いて。一つ一つ、丁寧にね。」
別の日には「料理も裁縫も基本が大事。適当にやっていると、あなたの人生も、グチャグチャになるわよ。修道生活も然り。」と言われたことが忘れられません。
聖ベネディクトが、修道院を「主への奉仕のための学校」「愛の学び舎」と表現していることを思い出し納得しました。
2月11日の誓願50周年感謝ミサ(司式・ライヤ フランシス師)とシスターズの替え歌「思い出のアルバム」に力を得ました。
「主よ、私は心を上げてあなたに感謝し、 あなたの不思議をのべ伝えたい。」(詩篇9の2)
これからも、室蘭・水元の地で、シスター達と共に、イエス様の示して下さったあわれみ深い神様を探し続けたいと思います。よろしくお願い致します。