第36号 2019年6月 発行 聖ベネディクト女子修道院
愛する兄弟の皆さんに挨拶と使徒的祝福を送ります。
聖人たちの養い手である母なる教会は、諸徳の素晴らしい実践によって、花婿であるキリストに完全な忠実さをもって従って来た人々をその子らに示します。
これらの聖人たちの後を歩むことによって、その子らが世の荒波を切り抜け、神との完全な一致、つまり彼らに示された人生の最終目的へ無事にたどりついてほしいと願うからです。
これらの優れた男女は、地上の生涯の間、ある時代の限定された状況、取り分け特定の文化的環境の中に置かれていたにもかかわらず、その生き方と教えによって、キリストの秘義の一面を明らかにしました。
その秘義は時代の性格と限界を越えて、依然としてその力と逞しさを保持しています。
聖ベネディクト生誕1500年祭を荘厳に祝うこの機会に、ベネディクトの霊的社会的使信を新たに聞いてみましょう。
Ⅰ聖ベネディクトの生涯
どんな宗教においても《色々な方法によって、人間の心の平安とその必要性に応えようと努力し》(第二バチカン公会議「キリスト教以外の諸宗教にたいする教会の態度についての宣言」(1条)、絶対者あるいは永遠者に特別に魅惑されてきた人々がいつの時代にもおりました。
キリスト教に関して言うならば、そういう人たちの中で特に傑出していたのは、3~4世紀にかけて東方で、特別な生活型態を形造った修道士たちでした。
彼らは《山上で祈られる》(第二バチカン公会議「教会憲章」(46条)キリストに倣って、神的な熱心さをもって孤独と、隔絶した生活を送ったり、あるいは兄弟的愛のうちに共同生活を送り、神への奉仕に身を捧げることに精進していました。
この東方から、教会のあらゆる地域に修道的団体が広まり、修道生活の規範を遵守しつつ救い主を見習おうと望む人々の決心をかき立てました。 その人たちは《神の国を人々に知らせ、罪びとを改心させ、良き実をもたらすように促しておられる》(同上)救い主を見習おうとしたのです。
教会がこの霊的酵母の働きによって成長していったのに反し、当時の文化は崩壊の一路をたどり、ローマ世界は老化していました。 聖ベネディクトがヌルシーで生まれたのは、その西ローマ帝国が滅亡してから間もない紀元480年頃のことでした。 《その名の示すように、神の恵みによって祝福されていたベネディクトは、幼少の時から老熟した心を持ち、ただ神のみを喜ばせることしか望まず》(大聖グレゴリオ『対話』Ⅱ巻の序文)働き手を捜しておられる主に心の耳を傾けていました。(戒律序言1.14) そして福音に導かれながら、少年期にありがちな魂の動揺にも打ち勝って、《厳しく険しい道》(戒律58.8)を進みました。 すなわち、《命に至る狭い道》(マタイ7.14)に分け入ったのです。
数ヶ所で孤独な生活を送り、誘惑の試練のうちに心が清められるうちに、その心は神に向かって完全に開かれるようになりました。 そして神の愛に迫られて、他の人々と共に住み、その人たちの父となり、彼らと共に《主に奉仕する学校》(戒律序言45)を開きました。
(次号につづく)