第36号 2019年6月 発行 聖ベネディクト女子修道院
美味しいものを 食べられるのは
誰かに想いを伝えるのも 口があるから
大切な口 上手に使って
円満な人生にしなければ お口に悪いよ
一つの言葉で 人の心は晴れ
一つの言葉で 曇り 一つの言葉で 嵐になる
良い事も 悪い事も 口から始まるって知ってる?
大事な口 上手に使って
まんまるな人生にしよう
あの太陽のように
これは受刑者の更生を支援する「麦の会」の冊子「和解」に載った受刑者の詩ですが、なんとコミカルで、同時に私にとってはなんとも耳が痛い言葉です。
修道院の数人がこの会に入って受刑者と年に数回文通をしています。
集団生活という点では、共同体に住む私たちも刑務所に居る人たちも同じで、受刑者たちとの文通や自ら更生を願う受刑者たちの「和解」への投稿文に、気づかされること、共感することで、受刑者たちへの神様の導きを感じることが多いです。
彼らの多くが親に捨てられたり、過酷な環境の中で成長してきており、傍らに寄り添ってくれる人や叫び声を挙げているときにそれを聞き取り、手を差し伸べる人に出会えなかったことを知るにつけ、私たちの人間関係の希薄さと、社会が犯罪者を生む温床になっているのではと考えさせられます。犯罪は厭うべきものですが、現教皇様がお示しになる、犯罪者たちへの温かい心を持ちたいと思うのですが、一方で苦しむ被害者の方たちを無視したくありません。
ところで私の文通相手の一人は教誨師のお陰で4年程前に受洗し、離婚していますが家族がいて、以前「家族の間には愛があるけれど、他人に愛されたり愛したりは難しい。」と書いて来ました。
また神経の病から罪を犯したもう一人の文通相手も離婚し、その後家族とは連絡が取れず同情に耐えないのですが、聖書をよく読んでいます。
先日『神はすべての罪を許し、あらゆる人間を受け入れてくださる。私たちはただ悔い改めさえすればよいのだ。』という言葉に、祈りをこめてクリスマスを過ごしました。」と書いて来て、神さまの慈しみを感じました。
二人とも服役中苦しいことや辛いことが沢山あるはずなのに、不平不満は手紙にほとんど見られず、私の文面から自分の母親くらいの年齢に思うらしく、かえって気遣いや労いの言葉さえ贈ってくれます。
わたしの場合、文通相手を霊的精神的に導く力はありませんので、話を聴き社会復帰への道を共に歩めるように努めるだけです。
文通を通して受刑者が一人でも多く更生の道を歩めるようにと祈っています。